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【台湾/神社】台湾で神社が多数造営されたわけ[2018/06/17]

1虹◆onElYHqWJBVO:2018/06/17(日)14:10:19 ID:eZt()
【台湾/神社】台湾で神社が多数造営されたわけ[2018/06/17]

【台湾/神社】台湾で神社が多数造営されたわけ[皇紀二六七八平成30年6月17日(日)]

1895年4月17日、日清講和条約が調印された。台湾および澎湖島の日本への割譲が決定したことにより、
日本の地にしか祭られなかった神道の神々が新しく日本の領土となった台湾へ、ヒト・モノ・カネの移動に伴い、海を渡り、台湾の地に祭られた。

6年後の1901年10月27日、台湾の総鎮守として台湾神社(44年に台湾神宮に改称)が鎮座した。
そして、開拓の神々である大国魂命(おおくにたまのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)および少彦名命(すくなひこなのみこと)と
北白川宮能久親王(きたしらかわ・よしひさしんのう)が祭神として祭られた。

皇族として海外での逝去が台湾での神社創建運動のきっかけに
1895年5月31日、能久親王は日本の台湾領有に伴い、近衛師団を率いて澳底(おうてい)に上陸し、
基隆から台南まで武装集団との抗争を繰り広げた。近衛師団を悩ませたのは、これまで体験したことがない、
台湾特有の湿気をもった暑さと非衛生的な環境であった。
能久親王も台湾南部の嘉義を越えた辺りでマラリアに感染し、高熱と下痢とに闘いながら、
「平定の戦い」の最終地点である台南に到着するが、10月28日に逝去してしまう。
皇族として初めて日本以外で逝去したことで、国内では能久親王を祭る神社創建運動が高まる。
その後、「別格官幣社を台湾に建設する建議案」が1900年9月に衆議院で可決し、同時に内務省告示81号が告示され、
台湾神社は植民地で初めての官幣大社として創建されることに決まった。能久親王の薨去(こうきょ)した10月28日を例祭日として、
01年10月27日に鎮座した。




台湾の地方都市にも広がる神社の造営
台湾神社が鎮座すると、主だった地域で一斉に神社の造営が始まった。台湾統治上の必要性は迅速な「日本化」の浸透であった。
日本化とは天皇を中心とした天皇主権国家であり、その中に占める神道の神々を祭る神社は絶対的な権力の象徴でもあった。

台湾の行政地区の中心となった地方都市には県社規模の神社が造営され、台湾神社の祭神を祭り、それぞれ県社として列格されていった。
県社への列格年代順で見ると、開山神社(1897年)、台中神社(1913年)、嘉義神社(17年)、新竹神社(20年)、花蓮港神社(21年)、
台東神社(24年)、阿緱神社(26年)、宜蘭神社(27年)、高雄神社(32年)、基隆神社(36年)、そして、澎湖神社(38年)となる。

台湾が日本となった初期では、神社造営と各種国家記念事業である御大典(大正天皇即位の礼、15年)、
皇太子行啓(23年)および御大典(昭和天皇即位の礼、28年)は大いに関係があり、これらの記念事業をその神社造営の推進力とした。
その後、31年9月に満州事変が発生。32年3月には満州国が樹立され、33年3月には国際連盟から脱退したことにより、日本を取巻く情勢が急変した。
日本は国際情勢の緊迫化を伴う国家非常事態体制下にあった。この頃は台湾における神社の重要性が大きく変化する節目でもあった。
国民に対して国威発揚、国民精神の高揚などが叫ばれ始め、国家神道に基づき、国民精神の育成が急務となり、
神職会(神社本庁の前身)から神宮(伊勢神宮)大麻が主だった神社経由で本格的に頒布されていった。
この過程で、地域の土地守護神として34年末、北港神社(台南州北港郡)が社格をもつ「神社」として造営され、
台湾での神社造営ラッシュの先陣を切った。
2虹◆onElYHqWJBVO :2018/06/17(日)14:10:47 ID:eZt()
神社規定の整備
1934年9月に台湾総督府文教局から「神社建設要項ニ関スル件」として、初めて「神社」に関する規定が提示された。
神社には「神社」と規定される要件があった。

(1)必要条件として、境内入口に鳥居があり、社殿(本殿、拝殿)まで参道が通じ、参道のそばには手水(ちょうず)舎、社務所などがある。

(2)敷地4~5000坪(1坪3.3平方メートル)以上、本殿 5坪程度、拝殿 20坪程度とされた。

(3)「神社」であるためには、崇敬者または氏子は50人以上とし、その中の総代が神社に関する維持のための一切の事務を行う義務を有する。

つまり、この要件に当てはまるのが、台湾総督府文教局社会課が発行した『台湾に於ける神社及宗教』(43年3月発行)であり、
また、田村晴胤(たむら・はるたね)による『神の国日本』(45年2月発行)に掲載されている68社の神社であった。
これらは、祈年祭・新嘗祭に天皇や国から奉幣(神饌=しんせん=以外で神に奉献すること)や幣帛(へいはく)料(金銭での奉献)を受ける
官幣社(2社)や国弊社(3社)を筆頭に、県社(8社)、郷社(17社)、無格社(36社)、そして、
台湾護国神社と建功神社を含んだ。なお、終戦間近に3社が無格社から郷社へ列格され、最終的に郷社は20社、無格社は33社となった。



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