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【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第67回「諏訪原城(静岡県)卓偉が行ったことある回数 2回」[2018/01/19]

1虹◆onElYHqWJBVO:2018/01/19(金)22:05:38 ID:xuB()
【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第67回「諏訪原城(静岡県)卓偉が行ったことある回数 2回」[2018/01/19]

武田好き、徳川好きにはたまらない城、おさえておかなきゃいけない城、諏訪原城を紹介したい。
先にこの城の魅力を言ってしまうと、三日月堀、丸馬出の極みの城、そんな諏訪原城だ。
いかん!この城を見てないのはいかん!それは卓偉の音楽を知らずに生きてるとの同じくらいいかん!
名城とは諏訪原城を言うのだ。もっと評価されたい!もっと来城してほしい!

築城は1569年とも、1573年とも言われるが、最初は武田勝頼が徳川攻略の為に築き、
近くにある高天神城とこの諏訪原城を武田勝頼と徳川家康とそれぞれ押し合いへし合い奪い合い、
最終的には1575年、徳川家康が諏訪原城を攻め落とし、大手曲輪などを増築、
1590年に家康が関東を治めることになると役割を終え廃城になった。
約30年で廃城になってしまった不運の城でもある。
1570年代から石垣の城が増えていたが勝頼は築城した1573年であっても石垣は用いず、
土塁と空堀で作った城であった。時代が総石垣の城になって行く中、
戦国最後の土塁の名城とも言えるかもしれない。
家康がこの城を管理していた時であっても石垣に組み直しすることがなかったのも意外である。
卓偉もあんな顔してこんなに文才があることが意外である。

城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城と名付けられた。
ご存知の通り勝頼は諏訪氏の血筋であるので(そんなこと知らねえってか?)自然な命名だ。
だが家康はこの城に入った後に牧野城と改名(牧野原城とも呼ぶ)したが現代になりこうして諏訪原の名前に戻るってことは
どんなに徳川が改修した城であったとしても、徳川の城というより武田の城の濃さが強く残っているからかもしれない。

https://www.barks.jp/news/?id=1000151051

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