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美智子さま

1名無しさん@おーぷん:2015/04/21(火)23:17:59 ID:8TX()
まったり語りましょう
221名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)07:22:28 ID:58I
>>220
Strategicは「戦略的な」というほどの意味合いであり、OSSは「特殊戦略部隊」など
いくつも訳語があります。
ということは、知識がGHQほど行き渡らず定着していないということでもありますね。
しかし、何事によらず問題の本質を掴むには、常に源流を辿ることが必要です。
GHQという日本の戦後70年間の進路を決定した組織の源がOSSなのです。
OSSを知ることが、日本の置かれた状況を理解することにつながります。
これが伏せられたままでは、日本の戦後史は解りません。
終戦直後の在日朝鮮の人々の「朝鮮進駐軍」を名乗った土地強奪などは、GHQ
の方針下で行われましたが、その前身はOSSです。とかく日本が加害者、在日
の方々が被害者という図式でしか、戦後史は語られて来ませんでしたが、実はそ
の逆の視点もあるのだ、ということもOSSを学ぶことから視えて来ます。
どちらに偏るのでもない、事実を事実のままに見るという意味で、新たな歴史の検
証が、70年目を境になされて行くような気もしています。自民党がやっと、見直し
の方向へ立ち上がりつつありますのでね・・・・随分、妨害も抵抗もあろうかと思い
ます。
さて、有色人種差別主義者であるルーズベルトが日本占領を見据えて、計略を練
り始めたのはつまりOSSを設置したのは早くも1942年開戦の翌年、終戦の3年
前です。日本はアメリカの描いたシナリオ通り、動かされアメリカの掌で転がされ
ていたに過ぎません。開戦も終戦も、彼らの演出意図のまま。情けない話ではあり
ますが、少なくとも日本が一方的な悪者ではなかった、という証明にはなるでしょう。
悪者と日本を断じているのは、中国韓国北朝鮮だけですけどね・・・・・。ああ、それ
と村山富市、河野洋平氏らのごとき、マゾ史観愛好の変態思想家たちがいまし
たっけ。鳩山由紀夫氏はどこへ消えられたのか。
OSSの戦略は日本だけではなく、ドイツ、イタリアにも及んでいます。使われてい
た人数は3万人。大変な予算が割り当てられていました。諜報だけではなく、人材
は心理学、医学、地理、語学、科学・・・・・あらゆる分野の学者が招集されています。
勝てるわけないですね。世界は腹黒いほうが勝ち抜くように出来ています。神の大
きな視界で見れば解りませんが、政治も外交も正義や真理では動いていません。
こういう世界にまあ見事に下手なのが日本人です。それは人間性としては不名誉
なことではないのですが、海千山千のワルを相手の外交では、きれいではいられ
ません。鬱陶しいことですが、現実ですのでね。
日本国憲法も、戦勝国側が「日本のため」を思って作ったかどうか、考えてみるま
でもありませんね。新憲法を作るべくマッカーサが、近衛文麿に命じたのは1945
年の10月でしたが、近衛は戦犯として逮捕される直前に、自死を遂げてしまいます。
さまざまな憲法草案がその後出され、それに日本人が関わっていたことから、憲法はGHQの押し付けではないというふうに話を持って行きたがるのが「護憲派」で
すが、しかし、現実はマッカーサーは日本人たちから提案される憲法のどれにも
満足を示さず、結局終戦の翌年1946年にGHQメンバー17人が、憲法作成に参
加します。皆、素人です。中には21歳(だったかな)の女性(ベアテ・シロタ・ゴー
ドン)までいたことを思うと、私はその余りの茶番ぶりに、泣き笑いしそうです。
222名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)07:22:57 ID:58I
>>221
日本国憲法は素人の「外人」がよってたかって、わずか9日間(!)ででっちあげ
られました。日本のその後70年近くを縛る「文言」の製作期間わずか1週間プラス
2日間。
 伏せられていますが、原文は英語なのですよ。憲法のあの醜い日本語は素人
の書いた英文を、また言葉の素人である誰かが訳したせいなのでしょう。せめて、
日本語を使いこなす言葉のプロをつけるべきでした。あの、響きの悪い調子の乱
れた日本語は苦痛です。あれは日本語への冒涜です。
 占領国が相手国の憲法を作ることは国際法違反なのですが、それも日本では教
えられませんね。「憲法の存在自体が国際基準では違法である」という、そのよう
な憲法の「解釈」を巡って国会では大真面目に波乱。茶番です。苦い茶番。
憲法第11条の「基本的人権の尊重」ですが、「人権」などという概念がそもそも、
日本人のものではありません。
第20条の「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権利を行使し
てはならない」は果たして守られているでしょうか。解釈を巡って紛争になるなら、
そこも論じ合って欲しいところです。
 第25条の「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を
有する」も問題視されている条項ですね。権利の前の義務が抜け落ちている辺り、
まさしく今のモンスターペアレントの登場やら、義務果たさず権利のみ要求する風
潮の下地を憲法で作っているとも言えそうです。
 第26条の「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひと
しく教育を受ける権利を有する」も日本を知らぬ者が作ったことが如実ではない
ですか。寺子屋以来、明治期に至るまで日本は教育の機会を奪った歴史はありま
せん。識字率は江戸からこの方、世界のトップレベルにあったのではないですか?
万葉の時代にも名も無き庶民がポエムを詠んでいます。こんなに国民が満遍なく
教養を有している例は世界にも珍しいのに、
GHQの連中は日本人を随分見くびったものです。力と数で勝ったからといって
相手が自分より頭脳と感性が劣ると考えることこそ、文化度の低さでしょうよ。
共産主義者であったルーズベルトの作ったOSSの共産主義志向を考えると、農
地改革や財閥解体、公職追放、学校の急速な左傾化(教育界ではまともな先生
約20万人が公職追放)、戦後からしばらくの日本の動きが見えてくるのですが、
いささか長くなり過ぎました。いずれかの機会にまた。
公職追放こそが、あらゆるジャンルを腐らしていく工作であり、その後方向転換し
たアメリカによりレッド・パージが行われましたが、時すでに遅しであったのです。
冒頭に、田中秀道先生のお名前を出しましたが、その後の拙論はいまだ試行錯誤の学びの段階にあるわたくしの、私的小論です。念のため。先生のお名前を汚す
といけないので。(注;は、当方)
223名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)07:38:57 ID:58I
>>220
http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/e46cb7c468c66a5a0b547dc941773576
224名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)08:11:29 ID:mSH
>>220-223
解説ありがとう。
GHQより前に置かれた日本(やドイツ、イタリア)の支配を前提として作られた頭脳集団組織ということですね。
ただ、開戦後に設置されたということですから、OSSが置かれたことにより、開戦前から全てアメリカの戦略通りだったとは断言できないような。
ハルノート、ABCD包囲網などで日本が戦争を起こすか、隷従するかを選択するよう追い詰めていったのは確かでしょうが。
225名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)17:21:36 ID:cws
>>224
「OSSとGHQ」で検索すると、約 82,800 件 (0.40 秒)もヒットします。全ての内容を確認するには、当方の知識が足りなさ過ぎ(恥ずい)。
で、一番上に上がってた井澤満氏ブログを、コピペさせてもらいました。
同じ疑問を当方もぼんやりと抱いたのでしたが、気づかぬふりしました。すみません。
いま改めて検索し直し、2番めの記事をコピペいたします。疑問書いていただけば、更に別記事引っ張ってみ
ます。OSSを全く知らなかったので勉強になりました。面白くて、興奮しています。ありがとうございます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
愛国女性のつどい花時計
◆OSSの日本改造計画について
▼www.hanadokei2010.com/faq_detail.php?faq_category_no=25
▲▲▲OSSの日本改造計画について  Q&A▲▲▲
①「OSS」とは何ですか?
 大東亜戦争に負けたあと、日本は7年間GHQ(連合国軍最高司令部)の占領下に置かれました。しかし、
戦争開始時のアメリカ大統領・ルーズベルトは1942年に早くも将来の日本占領に備えた諜報・謀略機関を作っていました。それがOSS(米国戦略情報局 Office of Strategic Service)です。OSSの方針はGHQに
影響を与え、戦後はCIAに引き継がれました。
アメリカは政治的には自由主義で民主主義、経済的には資本主義の国、というイメージを私たちは持っていま
すが、それは時の政権が民主党か共和党かによります。民主党の左派が政権を握った時、日本は危険な状態
に陥ることが多いです。大東亜戦争の開戦時がまさにそうでした。
ルーズベルト大統領はユダヤ系で、人種差別主義者でした。「日本人の侵略行動は、おそらく頭蓋骨が白人
に比べて未発達だからだ」とイギリス公使に語ったという記録が残っています。彼は戦争が始まるとすぐにアメ
リカに住んでいた12万人の日系人を、砂漠の中の強制収容所に閉じ込めました。そして、ルーズベルトが実
は共産主義者だったという説も最近、出版された本で明らかにされました(田中英道『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』展転社)。
OSSには日本だけでなくドイツ、イタリアに対する工作のために、惜しみない予算と人材が注ぎこまれました。
終戦時の工作員は3万人いた、と言われています。諜報専門家だけでなく心理学、医学、地理、語学、科学な
ど、あらゆる分野の学者が集められました。その中に、ナチスの迫害をのがれてアメリカに来て、ニューヨークの
コロンビア大学に集まったフランクフルト大学のユダヤ人の社会学者たち(フランクフルト学派)がいました。
フランクフルト学派の人々はソ連型のマルクス主義ではなく、新しいタイプのマルクス主義者でした。ソ連型の
マルクス主義は労働者が搾取されて階級意識が生まれ、階級闘争が始まる、という単純な図式でした。しか
し、これは貧しい後進国にしか通用しません。そこで彼らは労働運動ではなく文化活動や人間心理全般を通じ
て階級意識、差別意識を作りだす運動を起こさなければならない、と考えました(構造改革路線)。これが戦後
日本のさまざまな制度改革に影響を与えることになりました。
226名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)17:22:21 ID:cws
>>225
②日本国憲法は誰が作ったのですか?
 5月3日は憲法が制定されたことを祝う憲法記念日です。日本国憲法は新しい時代にふさわしい、国民主
権の憲法だと学校の授業では教えていますが、実は憲法の原文が英語だったことは教えていません。GHQ
によって押しつけられた、占領憲法だということを隠すためです。
1945年10月、マッカーサーは近衛文麿に日本の新憲法の作成を命じました。しかし近衛文麿は戦犯として
逮捕される直前に自殺します。その後、さまざまな憲法草案が出されましたがマッカーサーは満足せず、GHQ
の民政局長に憲法草案の作成を命じました。
1946年2月4日、GHQの17人のメンバーが8つの小委員会を作って憲法作成に着手しました。しかし、
このメンバーの中に憲法の専門家はいませんでした。責任者だったチャールス・ケーディスはユダヤ系で、
ハーバード大学で法学を学んだ弁護士でした。しかしOSSが戦争中からいち早く明治憲法の分析を行ってい
たので、新憲法はわずか9日間で作り上げることができました。
GHQの中にも左派と右派の対立がありましたが、日本国憲法作成に中心的な役割を演じたのは左派でし
た。マッカーサーは左右の対立にうとく、占領初期には左派を自由に行動させていました。共産主義に対して
マッカーサーが警戒心を持ったのは戦後2年ぐらい経って、米ソ冷戦の風が日本に吹き付けてきてからでした。
 このような経緯で作成された憲法に正統性がないことは言うまでもないでしょう。占領国が相手国の憲法
を作るのは国際法違反です。それに憲法というものは本来、その民族のアイデンティティーを示すもののはず
ですが、日本国憲法はむしろ日本人のアイデンティティーを壊す要素があるからです。

③日本国憲法は民主的な憲法ではないのですか?
 日本国憲法は戦後日本の民主主義の柱となったと言われてきました。しかし憲法には「民主主義」という
言葉はなぜか一回も使われていません。憲法に何度も繰り返し出てくる言葉は「権利」です。これこそがこの憲
法の正体を表しているのではないでしょうか。
@例えば憲法第11条の「基本的人権の尊重」ですが、人権という概念はもともと日本にはなかったもので
す。しかし、だからといって戦前の日本人が抑圧されていたわけではありません。天皇を中心に一つの家族の
ような国家を理想としてきた日本では互いを尊重することは当たり前のことで、わざわざ人権などという言葉
を使う必要がなかっただけです。第18条の「何人も、いかなる奴隷的拘束は受けない」も日本の歴史を知ら
ない人間が作ったことが分かる条項です。日本は歴史上、奴隷を持たない国でした。古代には奴婢(ぬひ)が
いましたが、奴婢にも土地が分け与えられていたのです。
@第20条の「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権利を行使してはならない」は「宗教は
阿片である」という共産主義の考え方の反映ではないでしょうか。
@第24条の「家庭生活における個人の尊厳と両性の平等」は、男女共同参画法案などに結びついた条項で
す。しかし、これが却って男女の対立を煽り、離婚増加の原因を作ったのではないか、と思います。
@第25条の「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」は非常に問題です。
本来、まず「労働の義務」を述べてからその対価としての「権利」に触れるべきなのに、義務には触れずに権利
だけが述べられているからです。世界一真面目で勤勉だった日本人が、今や生活保護を当てにするほど堕落
したのはこの条項が関係しているのではないでしょうか?
@第26条の「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有
する」は、労働者や農民は学校に通えないような国をイメージして作られた条文でしょう。日本では明治以来、
教育の機会均等が奪われたことはありませんでした。
このように、今の憲法には日本にはなかった西洋起源の、抽象的な概念を表す言葉が多く使われていますし、
日本の歴史を踏まえて作られていません。このような憲法は一刻も早く破棄し、日本の文化、伝統に沿った憲
法を制定すべきです。
227名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)17:22:45 ID:cws
>>226

④憲法はなぜ天皇を「象徴」と謳っているのですか?
 天皇の戦争責任は問わず、天皇は「象徴」という位置づけで温存する、というGHQの方針はこれまで
マッカーサーの判断だと思われてきました。このことで戦後の日本人はマッカーサーに感謝してきました。しか
し、これはOSSの情報工作の一つだったことが最近、明らかになりました。
OSSは中国共産党を支援していました。中国と同様、日本も共産化しようという意図はあったはずです。しか
し1942年の段階で皇室を温存する方針はほぼ固まっていたようです。日本人の大多数が天皇を敬慕してい
たからです。そこで天皇と国民は平和を願っていたのに軍部に騙された被害者だ、悪いのは軍部だ、という宣
伝をすることによって国民と軍部を切り離し、日本人を互いに争わせ、社会を混乱させるという戦略に切り替
えたのです。
違う階級の間には利害の対立があり、それを煽れば混乱が起こり、やがては革命が起こる、というのが共産主
義の「階級史観」です。しかし、実際には戦後の日本人は協力し合って復興を遂げました。日本に革命が起き
なかったのは日本の歴史と伝統の厚みであり、皇室のご存在によるものと言えるでしょう。
しかしもし1942年の段階で皇室を温存する方針が決まっていたというのが事実なら、アメリカはなぜそれを
日本に伝えなかったのでしょうか? もし伝えていたら日本はもっと早く降伏して、広島・長崎への原爆投下
は必要なかったでしょう。原爆投下は日本を降伏させ、戦争を早く終結させるためのやむを得ない措置だった
というアメリカの主張が嘘だったということがこのことからも分かります。

⑤「第三国人」とは何ですか?
 東京都の石原知事が韓国人を「第三国人」と呼んだということで差別主義者という批判を受けました。しか
し「第三国人」は決して差別語ではありません。戦前の朝鮮や台湾は日本の一部でした。ですから日本が戦争
に負けたことによって独立したとはいえ、韓国や北朝鮮や台湾は戦勝国ではありません。戦勝国でもなく敗戦
国でもないから「第三国人」なのです。
戦時中、独立運動をした朝鮮人や共産主義者は投獄されていましたが、GHQは彼らを釈放してしまいました。
そして日本の法律に服す必要はない、と彼らに告げたのです。彼らは早速、駅前の土地を不法占拠し、そこに
市場を開きました。いわゆる「朝鮮進駐軍」です。地主は彼らの乱暴狼藉を防ぐ手段もなく、泣き寝入りするし
かありませんでした。殺人、強盗、強姦など、やりたい放題だった「朝鮮進駐軍」に敢然と立ち向かったのは戦
地から帰ってきた若者たちと日本のヤクザでした。
血で血を洗う抗争の末、徐々に縄張りが決まってゆきました。1946年11月、「朝鮮進駐軍」の危険性をようや
く認識したGHQは警察の取り締まりを許可しました。しかし、時すでに遅く、駅前の一等地がかなり「朝鮮進
駐軍」に奪われてしまいました。今、駅前にパチンコ屋があるのはそういう経緯からです。
228名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)17:23:13 ID:cws
>>227
⑥憲法第9条の目的は何だったのですか?
 民主党の仙石由人が自衛隊を「暴力装置」と言ったことはまだ記憶に新しい出来事です。仙石由人は元社
会党の党員で、「暴力装置」はマルクス主義の用語です。国家を転覆させることが目的の共産主義革命の最
大の障害となるのが軍隊であり、警察だからです。
護憲派は、憲法9条があるから日本は戦争に巻き込まれないのだ、と主張しますが第9条「戦争放棄」には、
別の側面があると見るべきではないでしょうか? 第9条には他国に対する戦争を放棄する、という意味だけ
でなく、暴力革命を弾圧する軍隊は放棄すべき、という意味が密かに込められていたと思われます。
東日本大震災で被災地に長く留まり、被災者の支援に献身的な努力をした自衛隊の活躍をマスコミはほとん
ど報道しませんでした。このようなマスコミの報道姿勢は、自衛隊を敵視していると考えない限り、理解できる
ものではありません。では自衛隊を敵視する勢力とは一体誰なのか、私たちは考えなければならないと思います。

⑦「ピューリッツアー賞」とはどのような賞ですか?
 日本でも話題になる「ピューリッツアー賞」は新聞などのジャーナリズム、文学、音楽に与えられるアメリカ
でもっとも権威のある賞です。毎年21の分野を対象に選考され、そのうち20の分野の受賞者に1万ドルの
賞金と賞状が贈られます。
この賞の運営をしているのはルーズベルト大統領の母校でもあるコロンビア大学のジャーナリズム学科です。
この賞ができたのはロシア革命が起きた1917年で、ハンガリー系アメリカ人ジャーナリスト、ジョセフ・ピ
ューリッツアーの遺志によって創設されました。選考委員はコロンビア大学学長を理事長とする19名で、うち
4名はコロンビア大学関係者です。これほど有名な賞が特定の大学の特定の学科の関係者によって選ばれ
ているということは驚くべきことです。コロンビア大学というのは一体どういう大学なのでしょうか?
コロンビア大学はもともとフランクフルト学派の牙城だった大学です。労働運動や経済闘争で革命を起こすこ
とに限界を感じたフランクフルト学派の人たちは、文化人やインテリ・メディアを対象に工作をする戦略に切り
替えました。これまで「ピューリッツアー賞」を受賞した作品を見てみると、ある傾向がはっきりしています。例え
ばW・ダワ―の『敗北を抱きしめて』やH・P・ピックスの『昭和天皇』などは日本でもよく読まれましたが、いず
れもマルクス主義史観で書かれています。
229名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)17:23:33 ID:cws
>>228
自由の国=反共の国=アメリカの知識人が未だに共産主義に対する幻想の中にいることは、私たちにはなか
なか理解できないことです。しかしこれはコロンビア大学に限らず、アメリカの大学の人文学部に多く見られる
傾向です。アメリカに留学した日本の外交官や学者の卵が共産主義に洗脳されて帰ってくるのも、決して珍し
いことではありません。

⑧農地改革や財閥解体、公職追放などの目的は何だったのですか?
 戦後、行われた農地改革や財閥解体、公職追放などのGHQの政策は、封建的で遅れた日本の制度を近
代化するためだとか、民主化するためだとか言われてきました。また日本の国力を弱めるという側面もあった
でしょう。しかしGHQの後ろにOSSがいたことを考えると、これは日本の共産化への道を開くという側面も
あったのではないでしょうか?
1946年1月26日、中国から戻った共産主義者、野坂参三の帰国歓迎大会が、日比谷公園で3万人を集め
て開かれました。この大会のために作られた「英雄還る」という歌が熱唱されたそうです。戦時中は非合法組
織だった日本共産党も合法化されていました。1947年2月1日にゼネストを行うことを日本共産党は予定
していました。この時、日本は革命前夜といえる、非常に危機的な状況だったかも知れません。しかしルーズベ
ルトの死後、後任の大統領・トルーマンによってOSSは解散させられ、ゼネストはGHQの指令によって中止
させられました。
やがて米ソの冷戦が始まり、アメリカは反共に政策を変えましたが時すでに遅く、日本の戦後の方向は決めら
れていました。教育界では約20万人が公職追放され、大学に左翼教師が入ってきました。その後GHQのレッ
ドパージで6千人が追われましたが、残った19万人以上の人たちが社会の中枢部に入ったことで戦後の教
育はおかしくなってしまいました。ソ連が崩壊したにもかかわらず、共産主義の幻は日本社会を蝕んでいます。

参考文献:◆杉本幹夫『大東亜戦争はルーズベルトの錯覚から始まった』(展転社)
     ◆田中英道『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」』(展転社)
230名無しさん@おーぷん :2017/10/24(火)17:27:38 ID:cws
>>224
貼ってから気づいたが、すごくピンぼけな反応してますね。恥ずかしい。
もっと調べてみたいと思います。
自分、ホントに無知蒙昧な人間ですよねートホホ

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美智子さま
CRITEO